【本文】
東京駅から伊豆急下田行き特急踊り子号に乗り込んだ。熱海を過ぎたあたりで海が見え始め、岩場で釣りをする人もちらほら目に入り始めた。トンネルとトンネルの間にふいにあらわれる、小さな港をいくつも通り過ぎる。「あ、この港いつか来たことがある」「この駅降りたことがある」と記憶がシャッフルされていく。東京近郊に住む大人にとって、伊豆はそういうところなのかもしれないなあ、と窓際の席でぼんやりしているうち、列車は河津駅に着いた。出発してからちょうど2時間半だった。
駅前からタクシーに乗って山のほうに入ってゆくと………シマちゃんである。
「今、散歩から帰ってきました」と、奥さんの大塩もとみさん。その足下から堂々とした足取りで登場したのは、雪のような白に、稲穂の茶色をのせたニ毛の男の子だった。シマちゃんは、長い立派な尻尾の先の方を「?」マークのように曲げてロビーに寝転がった。「昨年の10月にうちにフラッとやってきたんです。たぶん昨年の6月ぐらいに生まれた子だと思います」と、奥さん。
従業員の男性、島田さんのニックネームをそのままもらってシマという名前になったそうだ。その島田さんがやってきて「シマはもう僕より偉いから“会長”って呼んでます」と笑う。
そんな話を聞いていたのかいないのか、シマちゃんがゆっくり起き上がって中庭に出た。どうやら庭の虫を捕獲する時間のようだ。案の定、草むらから大きなトノサマバッタが飛翔した。それを追ってシマちゃんが庭を駆け回る。バッタは離れの山水亭に続く、なまこ塀に止まった。ジャンプしても届かない高さに止まった獲物に、シマちゃんがくやしそうな鳴き声をあげる。「くやしいよ!」と言ってるのがわかる。なまこ塀に前足で体を持ち上げて、しばらく彼はバッタを恨み、世界を恨み、そしてそれを見ている僕までをたっぷりと恨んでいるかのように鳴き続けた。
張りつめた空気をバッタの飛翔が破った。美少年よ走れ、この世の果てまで。しかし残念ながら、トノサマバッタは庭の隅にある梅の木の上のほうに姿を消した。するとシマちゃんはスフィンクスのように座り込んで、長期戦のかまえになってしまったようだ。
虫だけでなくこの庭には、つりばしをわたって山からいろんな動物がやってくる。ネズミ、モグラ、トカゲなら、優秀なハンターのシマちゃんがつかまえるが、ハクビシンや狸といった大物はそうもいかないようだ。「最初のころは毎朝1匹、モグラが玄関に置いてありました」とのこと。
ご主人の大塩耕三さんが山菜採りから帰ってきた。川沿いにある“お抹茶風呂”の建物に向かうご主人のあとを、シマちゃんもついていく。そのあとを僕もついていく。右手の川の流れは透明で豊かな水量だ。柱状節理の岩が、川に何段もの舞台のような不思議な空間を創り出している。その川にせり出すように設置された美しい色の円形の抹茶風呂は、まるで川に浮かぶ一寸法師のお椀のように見えた。どっぷらこ、と、僕もそのお椀風呂で川を下りたくなった。
人なつこく、従業員にかわいがられてのびのびと育つシマちゃん。宿を包みこむ深い緑も、紅葉へ変わっていく。雪の中のシマちゃんもみたいなァ。
Ryosuke Handa
作家、版画家。1954年京都生まれ。上智大学外国部学部英語学科在籍中から雑誌編集に携わり、フリーライターに。著書に『ピカピアーノさんの玉尻猫』(文藝春秋)、『猫語練習帳』(朝日出版社)、翻訳書にカレル・チャペック『ダーシェンカ』(新潮文庫)など多数。
http://www.handia.jp
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■掲載媒体名:週刊女性
■発行年月日:2006年10月
■タイトル :伊豆七滝温泉つりばし荘
■発行社 :主婦と生活者
【メディア関係者の方々へ】
私ども、つりばし荘では日本唯一の「お抹茶風呂の宿」等として、これまでにも
数々のメディアや雑誌等に取り上げていただき、関係各位には厚く御礼申し上げます。
私どもつりばし荘を必要としておられるお客様に情報が届くことを切に願っております。
当館を取材したい、取り上げたいというメディア・報道関係者の方は、
つりばし荘 若女将:大塩よりお問い合わせくださいませ。
tel:0558-35-7511
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皆様との出会いを楽しみにしております。
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